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さて、これまで出版への道を志すことになった経緯、想定読者に伝えたいことを書いてきました。 (こちらのページ参照)
前回は、「刷り込み力」を付けることで、生半可なことではすり減ることのない、一生の無形資産が形成されることを書いてみました。
今日は、平昌五輪で見事、日本勢初の金メダルをもたらした羽生結弦選手に学んだ「覚悟力」について書いてみます。
23歳の羽生結弦選手が到達した極み
オリンピック男子フィギュアスケートでは、実に66年ぶりという連覇を果たし、更にその金メダルが冬季オリンピック通算1,000個目という節目にも遭遇した羽生結弦選手。
そして、弟分の宇野昌磨選手と共にワンツーフィニッシュを果たし、日本中が沸き返った2018年2月17日(土)から一夜明けて、まだ興奮冷めやらずという雰囲気です。
羽生結弦選手は、3ヶ月前の右足首靱帯損傷という重症を乗り越えての快挙でした。僕は、学生時代にスキーで右膝内側の靱帯損傷を経験しましたが、相当長期間にわたって痛みが続き、膝の屈伸ができないほどでした。
それをたった3ヶ月間で、世界一流のアスリートが集うオリンピックの舞台に戻り、さらに超一流の選手だけが到達する表彰台の一番高いところに立つとは、驚異の出来事です。
なぜ、そんなことが可能だったのでしょうか?
鬼気迫る気迫の根底に見えた覚悟
完璧と思える演技をしたショートプログラムに続いてのフリーで、その鍵が垣間見えた気がしました。
もちろん、僕はフィギュアスケートの経験もないド素人ですが、フリーの演技後半でジャンプの着氷が乱れたシーンが2つあり、そこで感じたことがあるのです。
それは、絶対転倒なんかするものか、絶対手をついたりするものか、という鬼気迫る気迫です。もちろん、ショートプログラムの時から、絶対飛んでやる、絶対立ってやる、絶対滑りきってやる、という気迫は感じていました。
それが、フリーの後半でジャンプの着氷が乱れた時、氷に手が伸びそうになるのをこらえて必死に肘を縮めているように見えました。腰が崩れそうになるのを必死で立て直しているように見えました。
そんな鬼気迫る気迫の根底にあるのは、なんとしても自分のベストを尽くしきるのだ、という「覚悟」だったのではないかと思うのです。
あの瞬間は、オリンピック連覇とか、日本勢初の金メダルを獲る、なんていう考えはまったくなかったはず、と勝手に想像しています。
自分のベストを尽くすのだ、という「覚悟力」
「覚悟力」なんて言葉はないと思います。僕が勝手に作った造語ですが、羽生選手の演技を見ていて、この言葉が思い浮かんだのです。
羽生選手の覚悟は、もちろん生半可なものではありませんし、その域に近づけるわけもありませんが、その何分の一かでも見習いたいものです。
羽生選手は、怪我をしてからもオリンピックの舞台を目指して、毎日毎日できることをベストを尽くしてやってきたはずです。そして、そうしてきた自分を信じて、オリンピックの舞台でもベストを尽くしました。
羽生結弦選手の「覚悟力」に学ぶ
我々でも、生きていればここ一番という勝負の場面はいくつもあるでしょう。
目指す学校の入試の場面、就活の面接の場面、仕事で大事なプレゼンを行う場面、プロポーズの場面、出産の場面 (女性だけですが) 、etc,etc…
それぞれの目標に向けて、準備する段階で手を抜いていたら、本番で乾坤一擲の力を発揮することはできないでしょう。
目標に向かう過程で、覚悟を決めて最大限ベストを尽くす大切さ、それを羽生結弦選手が改めて教えてくれた気がします。
さて、長くなりましたので、続きは次回に。
では、また!
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(2018.2.18記)